なおきのつぶやき
東京都知事選
2011年3月5日 なおきのつぶやき
3月4日 (金) 午前十時より自民党都連幹部会が招集されました。
今回は3月11日の本会議最終日に石原慎太郎東京都知事の進退について明言される事になっています。
今後も引き続き知事の四選出馬に積極的に要請をすることで決まりました。
その後は都庁で三宅都議会自民党幹事長が石原知事に要請文を手渡し、その後都議会自民党、都議会公明党の顧問が知事に要請をしました。
聞くところによると区長会、23区の自民党区議団幹事長会、東京都医師会なども要請活動を行ったようです。
又、都議会民主党の花輪議員が世田谷区長選に立候補を固め都議会民主党を離脱して、一人会派を設立して広く有権者の支持を求めるようです。
刻々と政治は動いています。
又、地元では9期区議会議員を務めた長塩英治先生が今回勇退を決意し「世話人集い」の会を開催しました。
島も故鯨岡兵輔衆議院議員の青年部からのお付き合いです。出席をさせて頂き永年のご労苦に感謝し、今後のご指導をお願いしました。
ご挨拶をする長塩先生、会場は暖かい雰囲気でした。
知事選の候補者が見えてきました。
2011年3月1日 なおきのつぶやき
2月28日(月) 光陰矢のごとし。一日、一日が忙しく駆け巡り2月も今日で終わりです。
都議会では第1回定例会が開催中です。
予算審議を含め、石原東京都知事の進退も含め、各党は手探りの審議を進めています。
特に民主党政権の混乱が続くなか、東京が日本をリードする強い思いを感じます。本当に東京のリーダーが誰になるのか不透明です。
そんな思いを持ちながら午前中の仕事が終わり都庁へ行きました。お願いごとや幾つかの仕事がありましたが、自民党控室も知事の四選への話題が持ちきりです。
何方が知事候補になっても都民優先で間違いのない施策を示して頂きたいです。
故鈴木一光先生を偲んで
2011年2月26日 なおきのつぶやき
2月25日(金) 高島なおきは都議会議員の秘書を経験し区議、都議として努力をしてきました。
秘書時代の友人の一人に故島村一郎先生、故天野公義先生の秘書をしていた葛飾区の鈴木一光さんと知り合いました。
当時、忙しい時間を割いては秘書仲間とお酒を飲んだりしました。共に年齢も若く愚痴を言ったり夢を語ったり忘れられない時間でした。
その後、共に葛飾区、足立区の区議会議員に当選をして、なかなか会う時間もありませんでしたが、共通の友人の一人が向島でお店を開いており何度か酒を酌み交わした思い出もあります。
そして、都議会議員として同期で当選をして東京、地元の発展に努力を積み重ねてきました。
3期目に島が都議会自民党幹事長に就任をした際には総務会長に就任をして頂き私を支えて下さいました。残念な事に2年前の選挙では共に惜敗をして悔しい涙を流した間柄です。
その後、同期の議員の皆さんとの懇談会で会ったり昨年の参議院選挙では中川まさはる選対の一員として戦った事もあります。
昨年は足立区千住の焼鳥屋さんで2人で食事をして2年後の戦いを誓い合いました。
今年に入り鈴木さんが元気がないと、噂が入り心配で連絡を入れ会った事もありました。しかし、先日、三宅茂樹幹事長から電話が入り鈴木一光さん亡くなったと、聞き自分自身の耳を疑い呆然としました。
夕方、ご自宅にお伺いをしてお別れをさせて頂きました。
本日、故鈴木一光先生のお通夜が行われ遺影を見る時、過去のシーンが走馬灯のように思い出されてしかたがありませんでした。
共に政治を志し努力をしている戦友が亡くなった事は残念でなりません。
改めて心から哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り申し上げます。
今、思う事
2011年2月25日 なおきのつぶやき
2月24日(木) 地元廻りと書類整理の一日です。
夜は都心の会合に行きましたが10時過ぎに帰宅したところT新聞社の記者が自宅前で待っていました。
内容を聞きましたらツイッターにマスコミが来なくなった。と書いたので裏を読んで伺いました。との事です。数分立ち話で終わりました。
知事選の報道はT新聞を含め3紙が石原知事不出馬、1紙が出馬、数紙が白紙、そんな状況だと理解しています。
都議会では第1回定例会が開催されており現在も予算審議が行われている時に進退の発言はあり得ないと思います。
しかし、複数の新人候補者が名乗りをあげ混乱をしていますが、石原都知事の出馬如何で総てが決まります。
47都道府県の首長がいますが首都東京の知事は、ある意味大きな責任があると考えます。地方自治体のトップランナーとして国と対峙し地方の発言を国に伝え地方自治の確立を求めていかなければなりません。
政権の混乱が地方に影響を及ぼし地方は更に混迷をしていきます。今こそ間違いのない決断が求められています。